関西学院大学サッカー部に繋がる一貫指導で、楽しく賢く考えるサッカー!

8.♪アルヘンティナ♪

おもろい話

楽しい事をメモしておくと人生が楽しくなると言う。
サッカーに関係あることないこと、楽しかったことや面白かったことなどメモしてみよう。

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マラドーナのユース(1979.9)

ground

1978年のアルゼンチン/ブエノスアイレスのワールドカップの翌年、
日本でワールドユース大会があった。
その時サッカー協会のお手伝いで本部に10日ほど泊り込んでいた。

お手伝いと言っても練習グランドの手配係りだが、馬鹿にしてはいけない。
難しい仕事だったのだ。

当時は都内の便利な場所に芝生のグランドなんか数えるほども無かった。

総領事

一方でパラグアイなどは総領事が自ら定規を持って試合会場の神戸御崎のグランド(今のホームズ
スタジアム)へ出かけて芝生の長さをはかり、あと1cm伸ばす様にと要請してくるほど神経質だった。

あるチームに都心から高速で1時間弱の八王子にある保険会社の施設を割り当てた。
そんな遠いとことんでもないと言う。近くだったら小学校の土のグランドしかないと突っぱねた。

次の日コーチが来て握手を求め「素晴らしいグランドだった。今日も使いたい」と言ってきた。

ground keeper

その頃芝生のグランドを持っているところは、芝生をいためないように
“出来るだけ使わないようにする”のが管理の鉄則だった。
だから二日続けて使うことは出来ず “ごめんね” と断った。

カピタン

アルゼンチンの友人は自国のチームのため、自分がメンバーである横浜外人クラブ(YCAC)
のグランドを提供したいと言ってくれた。
アルゼンチンのナショナルフラッグの船長さんでカピタンと呼ばれていた。

capitan

喜んでチームとバス会社に伝えると「YCACのグランドへ行く道は大型
バスが入れない。広いほうの道は米軍の施設を横切らなければならないから
行けない」とバス会社が言う。

カピタンと親しくスペイン語の得意なチームメートに電話をしてもらった。
カピタンは英語が不得意、私はスペイン語が出来ない。
会って話すのは出来ても電話は難しい。言葉が出来ないのは不自由だ。

するとカピタンはYCACのメンバーに米軍の関係者がいるから頼んで
みると言う。

結局マラドーナを乗せたアルゼンチンチームの大型バスは米軍施設の真ん中を突っ切って練習に
行ける事になった。 みんな自国のサッカーのためだったらどんな苦労もいとわないと言う具合だ。

決勝はアルゼンチンとソ連

前年のワールドカップではアルゼンチンが優勝し、その代表の候補には入っていたが本戦には
選ばれなかったうわさのマラドーナがうわさどおりの凄いプレーを見せた。
ユースの監督もワールドカップ優勝の知将メノッティだった。

argentina

決勝の国立競技場は定員の5万5千人満杯だった。
アルゼンチンの人は一握りしかいなかったが、何故だか国立競技場はアルゼンチンの空色と白の国旗でおおい尽くされていた。赤の国旗は空色にかき消されて一本も見えなかった。

翌日カピタンからチームメートに電話があり、本国でTV中継を見ていたアルゼンチンの人
たちはその光景に感激し、日本の国民に感謝しているとの電話がたくさんあったそうだ。

それはそうでしょう。地球の丁度裏側にある第3国の日本の国立競技場が、自国の空色と白の
国旗で埋め尽くされたのだから!

たかがサッカーといってはいけない。
友好が長く続く国もあれば、W.Cup予選のもつれで戦争になった国もあるのだ。

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