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雪の女子サッカー選手権

おもろい話

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楽しい事をメモしておくと人生が楽しくなると言う。
サッカーに関係あることないこと、楽しかったことや面白かったこと、
心打たれたことなどページを繰ってみよう。

雪の女子サッカー選手権(1980年3月23日)

なでしこジャパンが女子ワールドカップに優勝して、その優勝凱旋のTV番組の中で、降りしきる雪
の中での第1回女子サッカー選手権の映像が流れた。
なでしこの選手達は一様に「私たちの生まれる前なのでーーーー」と驚き戸惑っていた。
それはそうだろう。30年以上前のことだ。

第1回全日本女子サッカー選手権大会

試合は8人制。
関西、東海のリーグは11人制でやっていたが、後発の関東は女子選手を11人集められるチーム
は少なかったので”チキンリーグ”と称して8人制でやっていた。そのため全日本選手権大会も
8人制となった。

画像の説明

“チキンリーグ”は後に日本サッカー協会副会長になった森さんの発案
で作られた。
命名も森さんで、日本リーグが始まった頃、試合を見たクラマーさんが
「まるで養鶏場のニワトリの蹴りあいのようだ」と言われたことから、
おそらく女子サッカーもそのような物になるだろうとつけたウィットに
富んだ名前だった。

グランドは76mx54m。ハーフコートよりチョット大きいぐらい。
ジュニアゴールに4号球。25分ハーフ。

フルコートを走り回る体力も、ロングボールを蹴るキック力もなかった。
背が高くジャンプ力のあるGKなどいないし、大きな5号球を蹴れる選手もいなかった。

中学生からお母さんまで混じったクラブチームや高校や大学のチームなど関西・東海・関東の
3地区代表の8チームが出場した。

1980年3月22日23日の二日間で一回戦、準決勝、決勝が行なわれた。
決勝はFCジンナンと高槻女子FC。  4月に東京12チャンネルの“三菱ダイヤモンドサッカー”
で放映された。

三菱ダイヤモンドサッカーは、当時唯一の海外のサッカーが見られる番組だったので、へたくそ
だった当時の女子サッカーが流れた時には、さぞがっかりしたサッカーファンが多かっただろう。

あえて女子サッカーの放映に踏み切った関係の皆さんの慧眼に驚く。

春の“どか雪”

画像の説明

3月も下旬と言うのにこの日の三菱養和会の人工芝サッカー場は春の
ドカ雪に覆われてしまった。

全国大会だし、決勝はTVの放映も決まっていたので何としても
グランドを使える状態にしなければならない。

このグランドをホームとしている三菱養和サッカークラブの高校生を
集め雪かきをする事になった。

しかし春のべた雪はみるみる積もり、雪かきは追い付かない。
とうとう夜中の12時を過ぎてしまい、高校生のメンバーは家へ帰れなくなった。
全員クラブの風呂とサウナで身体を温め、レストランで食事を取り、座敷で雑魚寝をする
事になった。

雪の冷たさにしびれた手足を風呂で暖めながら「どうして女子サッカーの為に自分達が真夜中
まで雪かきをしなければならないのか?」と言い合いながらも、キャンプか合宿のノリで楽しい時
を過ごした。

その時のメンバーは今あの雪かきを思い出しているだろうな!

つながった! Football goes around !

画像の説明

今になって思えば、あの雪かきもやっぱり意味があったのだ。
私達が経験することは、どんなことでも意味があるのだ。
人間は、良いことも悪いことも色々経験するように創られていると言う。

そのときの雪かき高校生の1人は、その後サッカーの世界で生きること
になり、サッカー協会公認S級コーチのライセンスを取り、この8月末
に日本サッカー協会から派遣されミャンマーの女子代表監督になる。

日本に初めてサッカーの指導と理論を伝えたのは、ビルマからの留学生
チョー・ディン氏Kyaw Din) で、1920年東京高等師範附属中学での
ことである。同氏はその功績により日本サッカー殿堂入りしている。

ビルマ(ミャンマー)から日本へ、日本からミャンマーへ。 
♪World goes around♪
♪Football goes around♪

ミャンマーでは雪かきは無いが、異常気象で雨季が長く芝生がドロドロになっていると聞く。
成功を祈りたい。

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