岡野俊一郎さん
おもろい話
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楽しい事をメモしておくと人生が楽しくなると言う。
サッカーに関係あることないこと、楽しかったことや面白かったこと、
心打たれたことなどページをめくってみよう。
11月5日、2002年日韓ワールドカップの時のサッカー協会会長であった
岡野俊一郎さんが文化功労者に顕彰されました。
サッカー関係者としてうれしい限りです。
人の話を聞いたり本を読んだりして,なるほどと合点がいったりすることが多い。
そのような部分を自分の都合の良いように引用して,自分の行動を正当化すること、これを
「我田引水」と云うのだろう。
岡野さんの講演の話を思い出しているうちに、いろいろな話がつながって「我田引水」!
スポーツ”の語源 "Disport"

岡野さんが協会会長の頃に“スポーツと人間”と
題して講演されたものを読んだことがあります。
それによると、スポーツと云う言葉の語源は
中世の英語で”disport"だそうです。
disは不や無など否定を意味し、portは港や
港に係留されている状態を意味します。

disportとは港に係留されている船が係留を
解かれて大海原に出てゆくことを云います。
束縛を離れて自ら楽しむことです。
今でも英和辞典には、disport(古)=楽しむ,
気晴らしをする と出ています。
”disport”のdiがとれてsportになりました。
従ってスポーツの原点は遊び心なのです。
”遊ぶ”と云うといかにも軽く聞こえますが、“船が係留を解かれて大海原に出てゆく”と云うと
自分の人生をかけてもという気持ちになって来ます。
「ホモルーデンス」 ホイジンガ
オランダの歴史学者ホイジンガは人間の本質を「遊び」だと云っている。
人間だけが真に遊ぶことが出来る。人間の文化は遊びの中から生まれたとその著書「ホモ・
ルーデンス」(遊ぶ人)の中に書いている。
ともすれば「遊び」は低い地位におかれ、遊ぶことに少々の後ろめたさを感じざるを得な
かった時代。
私はホイジンガやカイヨワを、真夏の千葉検見川の一ヶ月のコーチングスクールで学びました。
この学説は、夢中になってサッカーに取り組んでいた私にとってどれほど力強い味方であった
ことか!
「遊びと人間」 カイヨワ
フランスの思想家,カイヨワはホイジンガの「ホモ・ルーデンス」に影響を受け「遊びと人間」
を執筆した。その中で遊びを4つの要素に分類している。

・アゴン(競争):スポーツ
・アレア(偶然):賭け、宝くじ,賭博など
・ミミクリ(模倣):演劇やままごと遊び
・イリンクス(めまい):ブランコや
バンジージャンプ
サッカーはこのすべてがうまく配分された最高の遊びだと云うことがよく判ります。
TVのアナウンサーは「絶対に負けられない戦いがある」と叫び、サッカーの神様/勝利の女神
はときに「さいころを振って」ドラマティックな結末を演出される。
試合の次の日は世界中の子供達がグランドでフェイントとシュートを繰り返しまねをしている。
190cmもあるGKのパンチとヘディングを競る時,めまいを感じない選手はいないだろう。
世界中の人が夢中になるのも当然なのです。
スポーツと武道と体育
スポーツが遊びを原点としているのに対し、日本古来の武道と体育はその原点を異にしています。
武道は、侍が1対1の勝負に勝つための力を磨くものという原点を持っている。
体育は、国民皆の体力と健康の向上を目指して義務教育の中に取り入れられた経緯があります。
岡野俊一郎さんは、長年文部省体育局をスポーツ局に変えてはという提案をしておられて、
平成13年に行政改革で、文部科学省青少年スポーツ局になった時には、一人祝杯をあげた
と言っておられました。
「老年論」 キケロ(老年の豊かさについて:八木誠一、八木綾子訳、法蔵館)

紀元前100年ころ、ジュリアス・シーザーのいた頃の
ローマの政治家キケロの「老年論」を分かりやすく訳した
本を読みました。
キケロは青年に対して若いうちから善き老年を迎える準備
をするように勧めています。
「この談話全体で私が称賛しているのは,青年期の基礎の上に築かれた老年であることを
くれぐれも忘れないでほしい。青年期、壮年期を立派に生きたものが最後の実りを手に
入れるのだ。」
この意味では,この「老年論」は若者のために書かれたと云うことが出来る。
時間があればぜひ読んで欲しい。
その「老年論」の中でキケロは二人の青年に、
「青年から命を奪うのは暴力だが,老年から命を奪うのは成熟なんだね。だから死が近づく
につれて,ちょうど長い航海がすみ,陸地が見えてきて,ついに港に入ろうとしている
ような気分になるのだよ」と語っています。
これでつながりました。

係留を解かれて大海原に出て冒険をして楽しみ遊んだ船が,
長い航海の果てにふるさとの港に帰る。
これで遊び,楽しみ,冒険をしてきた長い人生、完結です。
でもまだ完結には早いかな?
同じ本の中でキケロはまた、
「青年たちを教え,導き,どんな義務でも果たせるように
育て上げる力を,我々は老年期のために残しておくのでは
なかろうか。実際これより立派な仕事があるだろうか」
とも云っています。
「我田引水!」完。